「はぁっ・・・はぁっ・・・くっ・・・。」
まるで何キロも走りこんできた後のように身体が熱くて重い。
(くっ!何か、おかしい・・。)
何度も大きくゆっくりと呼吸をしているが、まるで初めからこの程度の体力しか無かったかのように体力が戻らない。
今までも何度となく激しい運動をこなしてきたが、こんなことはただの一度だってなかった。
(やっぱ・・あの炎か・・?)
アイツの炎に焼かれた時、伝わってくる熱気こそ何も考える間も無く炭に変えられてもおかしくない物であったが、不思議と皮膚を焼かれている感じはしなかった。
どちらかと言えば身体の芯が焼かれている感覚の方が強く、同時に身体中から急速に生命力が奪われる感じがしていた。
「(シノブさん・・。)」
彼女がアタシの心に直接話しかけてくる。
姿があれば今にも泣きそうなぐらいに心配そうな顔をしていることだろう。
「(ダイジョブだって・・こんぐらい、気合と根性で・・・なんとかするさっ!)」
「(何とかすると言っても・・避けるので精一杯ではありませんか・・。)」
「(うっさいなぁ!・・そんぐらい、分かってるよ・・リト。)」
彼女の言う通り、今のアタシは攻撃を避けることに必死で中々反撃に踏み切れなかった。
先の炎でごっそり削り取られた体力の回復を待っていることもあるが、理由はそれだけではない。
「フゥハハハハー!どうした、シノブ?動きが鈍くなってきてるぞ?」
「はっ!・・そー思うなら一気に仕掛けてきたら・・どーだってんだ・・!」
「フンッ!その手には乗らないぞ!さぁ!お前の中に眠る”戦士”を解放してみせろ!シノブ!!」
アタシの格闘スタンスがカウンター重視であることも関わっている。
彼女のように用心深い相手には中々その効果を発揮できない。
これまでの体捌きから、彼女の格闘の腕はそれほどでもないことは分かった。
恐らくはあの魔法を使って遠距離から相手を攻撃するスタンスが、彼女の本来の戦闘スタンスなのだろう。
よって、彼女がアタシに合わせて格闘戦を挑んでくる今ならば此方から一気に仕掛けて倒すことも不可能ではない。
しかし、それをするには今のアタシではどう見積もっても体力不足だ。
「(しかし・・彼女の戦い方、やはり何処か違和感がありますね・・。)」
「(・・・だな。此方の出方を窺ってるにしては、慎重すぎるし・・それに・・。)」
アタシはちらりと後方を確認する。
リトのアシストもあって何とか衝突は間逃れているが、アタシの背中にはさっきからずっと赤い壁が聳えていた。
ボクシングで言えばコーナーポストに追い詰められたような状況だ。
しかし此処まで追い詰めておきながら、彼女は思い切った攻めに転じてくる気配を感じさせない。
(やっぱ・・・あんた・・・。)
今彼女が思い切った攻めを行えば、逃げ場のないアタシは受けに徹するしかない。
今の体力で彼女の全身全霊を賭けた乱撃を受け切れる自信は正直言ってない。確実に負けるだろう。
彼女ほどの戦士ならばそのことは既に見抜いているはずだ。
アタシを打ち滅ぼすには絶好の機会である、あれほどお膳立てしておいてこの機会を逃すはずがない。
それなのに攻めてこないのは、そうするだけの理由があるに違いない。
「(リト。アタシにはアイツを・・・)」
「(・・・分かってますよ。こういうことは貴女の方が明るいですし、シノブさんの感じた通りにしてください。)」
「(死ぬかも・・・知れないけど?)」
「(・・・あの時から深紅【わたし】は、貴女と供にあります。)」
「(へへっ・・・ありがとな・・。)」
勿論、彼女が攻めてこない理由として考えられる物は探せば幾らでもあるだろう。
その中でもアタシの考える理由は、正解から最も遠い理由かもしれない。
でも、それでもアタシは・・。
(あんたを・・・信じたい!)
――私は今、驚いていた。
川澄シノブと名乗った人間は、あれほどの手傷を負いながらも私の攻撃を避け続けている。
しかも彼女はまだその身に宿している”戦士”を解放していない。
確かに格闘戦においては彼女の方に一日の長があるようだ。
しかし、それを差し引いても彼女の身のこなしはとても手負いの人間のそれとは思えない。
(これでもし、”戦士”を解放させたらと思うと・・・)
彼女の強さは計り知れない物となる。
相対した時からその予感がしていたが、実際に戦ってみてそれがはっきりとした。
(逃げ場のない状況で、何時までその本性を隠しておくつもりだ・・。)
彼女の後ろには私の作った炎の壁が聳え立っている。
それにあの息の乱れから見ても彼女の体力は残り少ないと見て間違いない。
”悪”を倒すための拳だ何だ言っても所詮は人間だ。
ここまで追い詰められればそんな物は関係なくなるだろう。
(さぁ、お前のそのちっぽけな意地などかなぐり捨ててしまえ!他の人間もそうであったように!)
その時、彼女が意を決した顔をした。
それからすぐに彼女を取り巻く空気が変わる。
(ふっ・・ふふふっ・・・フゥハハハハー!!ついに来たか!待ちわびたぞ!!)
彼女は残る体力を賭けて一か八かの攻勢に出るつもりなのだろう。
生き残るために、彼女の中に眠っていた”戦士”がついに解放されたのだ。
どんなに意地を張っても所詮は人間、彼女も生存本能には勝てなかったということだ。
それはそれで、ほんの少しばかり残念でもあるがこの際それぐらいは目を瞑ろう。
恐らく今まで打ち滅ぼした人間の中では最も至高の糧になることになるのは間違いないのだ。
「もらったぞ!」
私は彼女が見せた隙に合わせ懐に飛び込みつつ勢いを付けて拳を突き出す。
しかし、これは態とである。彼女は自分と同じ相手の出方を見て戦うタイプの戦士だ。
そんな戦士が自ら隙を見せる時は、必ずと言っていいほど何か手痛い反撃を考えている時である。
(ふん、その手には乗らんぞ!逆に私の罠に飛び込ませてやる!)
だからこそ、あえて豪快に飛び込んでみせる。
勝利を確信しこのまま叩き伏せるつもりであるかのように不敵な笑みを浮かべてみせる。
普段の彼女ならば恐らく此処までしてみせても此方の作戦を見抜いたかもしれない。
しかし、今の彼女は命の危険が迫っている。到底、そんな精神的余裕などないだろう。
九分九厘、この拳をサイドステップか回りこみで避けるはずだ。
そして炎の壁から遠ざかりつつも私の横や後ろに回り込むだろう。
しかし、その時こそ彼女の最期だ。
自らの策通りに回り込めて油断している所に本命の連続攻撃を仕掛けてやるのだ。
いくら”戦士”を解放した彼女でも、あの体力では私の体力を全て賭ける連続攻撃は捌き切れまい。
(これで、私の勝利・・・なっ!?)
私の予想に反して、彼女は避ける素振りを見せない。
受け止めるつもりかとも思えたが、その構えすらしていない。
(何をしている!?何故何もしない!!)
彼女の目はまだ死んでいない。
つまり、もう避けたり受け止めたりする力すら残ってないというワケではない。
それなのにどちらもしないということは、此方の作戦を見抜き急遽何か別の策を講じようとでもいうのだろうか。
(無理だ!今更作戦の変更など、間に合うはずがない!!)
しかし、仮に此方の作戦に合わせた別の策が閃いたとしても、今からでは間に合うワケがない。
とりあえずこの一撃を避けるなり受け止めるなりしてからでなくては、その策を実行に移すことはできないはずだ。
(そのままでは、お前は・・お前は――!!)
避けることも受け止めることもしないのであれば、彼女は私の拳によって突き飛ばされ後ろに聳える壁に激突する。
魔法耐性のない彼女があの壁に触れたらほぼ確実に死ぬだろう。
しかしそれでは魔法を使って倒したも同じことだ。それでは私の糧にならない。此処までお膳立てした意味がない。
何より、私の魔族としての、魔王軍三将軍としての誇りが許さない。
(―――えっ?)
気がつけば私は突き出した拳で彼女の腕を掴みながら彼女の懐に入り込み、彼女を背負い投げていた。
私は自身の無意識の行動に驚き、彼女の身体が私の頭上を通り過ぎた所で腕を離してしまう。
彼女は器用に身を捩ると地面に着地し、そのまま膝を地に付けた。
そして私を睨みつけ叫ぶ。
「・・・何故、打たなかった!」
|