遥かに遠くで、なにかが落ちている。
小さく、忙しなく、連続的な、なにかが落ちている。
(・・・とおく?)
確かに、遥かに遠くでなにかが落ちている。
それなのに何故か、私はそれを遥かに近くで感じている。
(とおく・・・で・・・ちかく・・・で・・・?)
遠くのなにかを、近くで感じられて。
近くで感じられてるのに、遠くのなにか。
遠いのに、近い、近いのに遠い、遠いのに、近いのに、遠い・・・。
(わか・・・らない・・・よ・・・。)
あっと言う間に思考が混濁してしまった。
なんともしがたい不快感と嘔吐感が、渦を巻いて私を襲う。
(いや・・だ・・・! わから・・・ないよ・・・!)
そもそも、私の感じているなにかとはなんだろう。
この、とても懐かしく、とても悲しく、とても冷たいなにかとは、いったいなんだろう。
(わからない・・・! イヤだ・・・! きもち・・・悪い・・・! 助け・・・て・・・!)
私はなにかをよく知っている。
私はなにかを見て、物思いに耽っているのが嫌いではない。
私はなにかをとても身近に感じている。
であるにも関わらず、なにかがなにか出てこない。
どうしようもないもどかしさに、苛立ちと不快感が増していく。
(どう・・・しよう・・・! 寒いよ・・・気持ち・・・悪いよ・・・! 助けて・・・助けて――)
「さくらぁっ!!」
瞬間、目の前が鮮やかに色づき、滲む。
焼け付くような高熱と耳障りな風音と不快な重量感を感じる。
少し遅れて、私はそれらが全て自分自身が発するものであることを悟る。
「・・・あ、め?」
私の熱を奪っていく物の名前を呟く。
「そう・・・雨・・・かぁ・・・。」
遠くで近いなにか、その正体が分かった私は肩を下ろす。
凍り付いていた思考が少しずつ動き出し、次の疑問を私に投げかける。
「・・・此処は?」
私は頭をゆっくり左右に振って、辺りを確認する。
見たことがあるようで、見たことがない光景が映し出される。
ふらふらと、私の思考が回り始める。
(此処が何処かは・・・分からない。 だけど、私は此処に、少し前から居て・・・?)
その時、私は気を失っていたことを悟る。
そして、別の疑問が沸き起こる。
「私、どうして気を失って?」
何気なく視線を落とした時、その疑問は解決した。
「――っ!!?」
落とした視線の、その先にあったもの。
それは真っ赤に染まって横たわる、よく見知った。
「エリ・・・ナ・・・さんっ!?」
見るも無残な姿になった彼女の名を口にした時、頭の中に彼女と会った時の光景が映し出される。
(そうだっ! 私は、森でエリナさんと会って!)
初めて会った彼女の姿が映る。
(物静かで冷たい感じがして、だけど話してみたら全然そんなことはなくて!)
一緒に森の中を歩いていた光景が映る。
(とても優しくて、あの時も私を守ろうとして・・・!?)
血みどろになりながら、少女のような化け物に立ち向かう彼女の姿が映る。
「そう・・・私は・・・! あの化け物に・・・私・・・!」
ようやく、私が気を失っていた理由が分かった。
「私は・・・! 化け物に襲われて・・・! それで・・・!」
その時の光景が映る。
次いで襲いくる、許容しがたい寒気。
「死んだと思っていたのに・・・! あの時・・・エリナさんと一緒に死ん・・・っ!?」
そう、死んだ。
彼女は死んだ。
私を守ってくれた、彼女はもういない。
しかし、まだあの化け物は生きている。
生きてこの世界の、どこかにいる。
「イヤだよ・・・! 怖いよ・・・! 帰り・・・たいよ・・・!」
気を失う直前の、おぞましいあの光景が映る。
此処に居る限り、いずれ私はあの化け物と出会うだろう。
そうなればまた、私はこの光景を見ることになるだろう。
その時、地面に転がっているのはきっと・・・。
「イヤ・・・イヤだ・・・私・・・!」
私は四つん這いになって這うように、彼女の傍らへ向かう。
そして、彼女の肩を揺らす。
「助けてっ! 起きてっ! エリナさん・・・っ!」
変わり果てた彼女の身体がどんどん激しく揺れていく。
「怖いよぉっ! 助けてよぉっ! エリナさんってばぁっ!」
突然、彼女の顔と向かい合わせになる。
「――ひっ!!」
彼女が突然蘇ったのかと思い、私は手を離す。
すぐに錯覚だと悟り、次いで不快な電流が全身を駆け巡り全身を震わせる。
「イヤ・・・寒い・・・!」
その場にへたり込んで、きつく自分の肩を抱く。
しかし、震えは収まらず、むしろどんどん激しくなっていく。
「なに・・・これ・・・止まらな・・・!」
全く言う事を聞かない身体に、絶望的な恐怖と不快感を感じる。
「イヤ・・・止まって・・・イヤ・・・イヤイァ・・・!!」
歯の根が合わない音と降り頻る雨の音が、耳障りな不協和音となって襲いくる。
「うる・・・さい・・・止まって・・・よぉ・・・・・・っ!」
鳴り響く不協和音に、私は堪らず耳をふさぐ。
しかし、嘲笑うかのように音は鳴り響く。
その鳴り響く音を掻き消すように、沸き起こる不快感に突き動かされるように。
私は絶叫する。
「いやぁああああああぁぁああああああぁああぁぁあああああぁぁぁっっぐぶっ!!」
突然の嘔吐感に口を塞がれ、私は地に伏せる。
「うぉえっ!! うぇえぇっ!!」
透明で苦い物が吐き出される。
激臭に刺激され、更なる嘔吐感が私を咽らせる。
それから暫く、なにもでてこなくなるまで、私は咽び吐き続けた。
「・・・さくらぁ・・・どこ・・・?」
荒々しく息をしながら、私は桜の名を呟く。
こんな時、彼女は必ず傍に居て私を守ってくれる。
「さくらぁ・・・怖いよ・・・助けて・・・よぉ・・・っ!」
例え何処に居ても、彼女は私を助けてくれる。
いつだって、そうだった。
今回だって、いつものように助けに来てくれる。
「居るんでしょうっ・・・! 助けてよ・・・さくらぁぁっ!!」
しかし、彼女は助けに来てくれなかった。
代わりに助けてくれた女性は、もういない。
このままでは私はきっと。
「――死ぬっ!?」
口にした瞬間、私の身体が凍り付く。
あの時のおぞましい光景の、無残に転がる姿に私が映る。
私はゆっくりと顔を左右に振る。
(なんでも・・・いい・・・助けて・・・!)
しかし、視界に映るのは、見たこともない草木と、見たこともない彼女と、見たこともない鉄の塊。
(――見たことも・・・ない!?)
その瞬間、私の中で一つの文字が煌いた。
「・・・夢。」
気が付いたら見たこともない場所に居て、見たこともない物が周りにある。
現実にそんなことが起こりえるワケがない。
「・・・そう、夢なんだ!」
降り頻る雨が熱を奪っていく、この感覚も。
突き刺すような右手の、この感覚も。
現実にこんな感覚が感じられるワケがない。
「全部・・・夢なんだ!」
そしてなによりも、絶対に現実ではありえないことがある。
「桜が・・・助けに来ないなんて・・・夢だからだっ!!」
私は見たこともない鉄の塊を額に押し当てる。
この冷たい感覚も、現実では感じられるワケがない。
「夢なら・・・コレで・・・!」
この手の夢は、命の灯が消える瞬間に覚める物だ。
私はそう聞いたことがある。
「コレで・・・覚めることができる!」
私はゆっくりと引鉄に指をかける。
見たこともない物の使い方を知っているのも、やはり現実ではありえない。
「目が覚めたら・・・きっと・・・!」
私はいつもの見慣れた部屋に居る。
「そうしたら・・・きっと・・・!」
今にも泣きそうな顔をして、私の顔を覗きこんでいる。
(――桜がいるっ!)
私は引鉄にかけた指に力を込める。
その時だった。
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