勇者降臨

 
癇に障る放送が終わると辺りは急に静けさを増した。
ついさっきまで窓をたたいていた雨はぴたりと止み、今は音もなく白い雪片が舞っている。
部屋にはまだ蒸し暑い空気が残っていたが、窓の隙間から冷やりとした外気が滑り込んできて急激に室温を下げる。

かすかな門番の寝息を背景に八蜘蛛は机に広げた地図から目を上げた。
もう一度さっきの放送の内容を頭の中で反芻して顔をしかめる。

ロシナンテが死んだ、どうやらそれは本当らしい。
別にその死を悼んでいるわけではない、ただ強い衝撃を受けていることは事実である。
ロシナンテは強かった、魔王三将軍筆頭の肩書きは伊達ではなく、あの凄まじい炎の前では自分の糸など何の役にも立たない。
相性の悪さを差し引いたとしても歴然とした力の差が自分とあいつの間にはあった。

しかし、そのロシナンテはあっけなく死んでいた。
しかも条件次第では魔王軍最強と目される門番まで、さっきの戦闘では壊滅的なダメージを負っている。
最初の放送を聞いていないので断定はできないが、この分では萩が生きている可能性は限りなく低そうだ。

殺し合いが始まって最初に出会った金髪の女、人の体を乗っ取る蛇のような化け物、巨大な怪物を操る老人、そして自分の理解を超えた恐るべき力を持った少女。
今一度、認識を改めなくてはならない。
自分はまだまだこの殺し合いのレベルを甘く見ていた………否、今も甘く見ているのかもしれない。
この先、ここまでの戦いを勝ち抜いてきた更なる猛者たちが立ちはだかってくるのかと考えると背筋に嫌な寒気が走る。

(とにかく、今は体力の回復を優先しないと)

ちらりと門番のほうを見やると、場違いなほど幸せそうな顔ですやすやと寝息を立てている。
一人で動き回るのは危険だが眠っている門番を起こすなどそれこそ自殺行為だ、問答無用で切り殺されかねない。
ここは多少の危険を冒しても一人で行くしかないだろう。
それに用はすぐに済む。

新たに二つ禁止エリアが書き込まれた地図をデイパックにしまうと、門番を起こさないよう注意しながら八蜘蛛は静かに動き出した。



「うっ……」

扉を開けると吹き込んできた冷気に思わずひるみ、再び体に震えが走る。
寒さのためばかりではない、最も恐ろしい男の存在を思い出したからだ。

(天候を操るなんて………どこまで出鱈目な力なの……)

キング・リョーナ
今この島にいるすべての参加者を集めた男。
あの男を何とかしなければたとえ生き残ったとしても……
それ以上は考えないことにした、とにかく今は目先の目的を果たすとしよう。

八蜘蛛が出てきたのは先ほどの戦場から程近い小さな民家だった。
あの戦闘のあと、今にも倒れそうな門番を引きずってこの家に入った、すると門番はすぐさまベッドで寝息を立て始め、それと同時に放送が始まって今にいたる。

放置されたままのレボワーカーには近づかないようにして、八蜘蛛はまず少しでも体力を回復するために、シノブの亡骸から養分を吸い取ろうと試みた。
しかし、もともと異常な速度で生命力を消費していたうえに、門番の“自虐無間”を受けたシノブの体からは全く養分を吸収することができなかった。

(まあいいわ、期待はしてなかったし)

建物の間の路地にはルカの入った繭が置いてあるが、今あれから養分を吸収したらそのまま殺してしまいかねない。

ひとまず養分の吸収をあきらめた八蜘蛛は、あたりに散乱したままになっていた門番のデイパックを漁り始めた。

「なにこれ………枕? まぁ、あいつらしいといえばらしいけど……」

それこそ門番を起こす秘密兵器なのだが八蜘蛛はそんなことを知る由もない。
他にもどこの国のものかわからない金や、魔力のこもった杖なども出てきたがどれも八蜘蛛には必要のないものばかりだ。

ちっ、と辺りをはばかることなく大きな舌打ちをひとつ、ここまでは当てがすべて外れてしまった。しかし、まだひとつあてが残っている。

「出てらっしゃい」

どこへともなく声をかけると、どこからともなく一匹の大きな蜘蛛が現れた。
八蜘蛛の手下のヨツメグモである。
その蜘蛛を手のひらに乗せると、八蜘蛛の顔に満足げな笑みが浮かんだ。

「よくやったわね、もどってなさい」

八蜘蛛の言葉とともにヨツメグモはどこかに消えていた。
そのとき再び背筋に震えが走った。

「……寒いのは苦手なのよね。さっさと済ませましょう」

どこまでも広がる鈍色の空を忌々しげに見上げると、まだ治りきらない足を引きずりながら、八蜘蛛は町の出口へと向かっていった。





ちらちらと粉雪が舞い散る中、もくもくと歩いている少女がひとり。
初香である。

初香は震えていた。
唇は紫色になり、肩を抱きながら震えていた。
それもそのはず、彼女の服装はTシャツ一枚にスカート、その上下着もはいていないというこの気温のもとでは厳しすぎるものだった。
しかも彼女は裸足だった。
さっきまで雨に打たれていた地面はぬかるんで、半凍りの泥が容赦なく足に噛み付き、もはや足の感覚がなくなっていた。

それでも初香は止まらなかった、なぜなら彼女には時間がなかったから。
先ほどの放送で運悪くD-5が禁止エリアに指定されてしまった。

不幸中の幸いだったのはD-5が禁止エリアになるのは四時間後だということだ。
それまでになんとしても豪華客船にたどり着き、首輪を解除するために必要な道具を集めなくてはならない。
もしできなければ、自分が見捨てた美奈に申し訳が立たない。

(美奈………)

放送が始まったとき、ほんの少しだけ期待していた。
もしかしたら、何か奇跡が起こって美奈は生き延びているかもしれない、と。
しかし希望はあっさりと砕かれてしまった、そんな都合のいい奇跡は起こらなかった。
美奈はたしかに死んだのだ。

それから初香はずっと歩き続けている。
今、初香は道沿いに廃墟を少し過ぎたあたりを歩いていた。
本来なら、豪華客船へは橋を渡っていったほうが近いのだが、その進路はとらなかった。
橋の手前で死体を見つけてしまったのである。

あたりにはすでに夜の帳が落ち始めている。
都会の夜闇とは全く違う、真の暗闇がもう間近に迫っていた。
厚い雲に覆われた空には月明かりもなく、懐中電灯も持っていない初香にはほとんど何も見えない。

(真っ暗になる前に早く行かないと、道に迷ったりしたらそれこそおしまいだ)



そのとき突然、右手の茂みの中から何者かが飛び出してきて、一筋の光が初香の顔をまっすぐ照らし出した。



 
森の中で、ずっとへたり込んでいる少女が一人。
伊予那である

伊予那はずっと動けずにいた、あの放送で桜の名前を聞いたときからずっと……

(桜が……桜が……)

桜が助けに来てくれない理由は実に単純明快だった。
桜はもうこの世にいなかったのだ、助けに来ることができなかったのだ。
やっと一歩を踏み出した瞬間に深い落とし穴に落ちてしまったような感覚だった。

(わたし………どうしたら……)

右手に握っているものに目が吸い寄せられる。
さっきはすべてが夢だと思っていた、だから夢から覚めるためにこれを使おうとした。
でも今は、すべて現実だと判っている、だからこそ、この現実を終わらせるために、どこまでいっても絶望しかない現実を終わらせるために、これを使って……

(だめだよ、そんなの……だってエリナさんは私を守るために………)

いままで何度も危険な目にあった、そのたびに彼女が守ってくれた、そしてついには命を落としてしまった。
彼女が命がけで守ってくれたこの命を簡単に捨てるわけには行かない。

(わたし、守られてばっかりだ、桜にも、エリナさんにも)

しかし、自分が彼女たちに恩を返す機会は永遠に失われてしまった。
もう彼女たちは………いない。

(桜………)

そしてまた視線が右手に吸い寄せられる。

もう何度この堂々巡りを繰り返しただろう。
雪が降っていることにも、体が氷のように冷え切ってしまっていることにも気づかず、伊予那はただ座り込んでいた。

しかし、永遠に続くかと思われた思考の空回りは突然破られた。

「ふぁ………くしゅん!」

寒さに耐えかねた体がくしゃみをしたのである。

「あ、雪……」

いまさら雪が降っていたことに気づいて、そんな呟きがもれた。

(魂みたい)

突然ここにつれてこられて、わけもわからないまま理不尽に殺された人たちの魂が成仏できずに彷徨っている、伊予那にはそんな風に見えた。
そっと、一粒手にとってみると、信じられないほど冷たかった、まるで殺された人たちの無念がこもっているかのように。

(桜は……ちゃんと成仏できたかな………)

ひょっとすると桜も成仏できずに彷徨っているかもしれない、そんな風に考えるとやりきれなかった。

そのとき、伊予那のもとに天啓が降ってきた。

(もし桜が成仏できずに、今もこの世を彷徨っているとしたら………)

もしかしたらもう一度、桜と話ができるかもしれない。

伊予那は目を閉じて、全神経を集中させて、桜の気配を探ってみる、そして強く心の中で呼びかけてみた。
もう触れることもできないだろうけど、せめて一言「ありがとう」と伝えたかった、別れの言葉を告げたかった。

しかし、

「…………だめだ」

返ってくる声は、ひとつもなかった。

自分がもっとちゃんと巫女としての修行を積んでいれば、桜と最後の会話ができたかもしれないのに……
伊予那はいまさらそんなことを激しく後悔し、悔しさに打ち震えた。

あるいは、桜はちゃんと成仏できたのかもしれない。
それならば喜ぶべきことだが、やはりどこか残念だと思う気持ちを捨て切れなかった。

もしかしたら本当は死んでいないのでは? という考えは残念ながら思い浮かばなかった。

「行かないと」

ぼそりとつぶやくと、伊予那は再び立ち上がった。
何の希望も見えなかったけど、とにかくこの命を捨てるわけにはいかない。

(行かないと……でもどこへ? そうだ、アクアリウムだ)

エリナさんが目指していた場所、あそこへ行けば何かあるかもしれない。
デイパックの中から懐中電灯を取り出して明かりをつける。

(ここは、どこだっけ?)

確か廃墟の近くの森の中だったはずだ。
でも、気絶したり、呆然としていたりで方向感覚がおかしくなっている。
いったん廃墟まで戻ってから方向を確認したほうがいいかもしれない。

(確か北東のほうだったはず)

そう思って、来た道を戻り始め、森を抜けたとき、ぺちゃぺちゃと裸足で泥道を歩くような音が聞こえた。
あわててそちらのほうに懐中電灯を向けると、

「うっ!」

そこには、まだ小学生ぐらいの女の子がいた。
その少女はひどい格好だった。
雪が降っているというのに、真夏に着るような薄手の服を着ていて、その上靴も履いておらず、ところどころに包帯を巻いていたり、青あざがあったりと満身創痍のありさまだ。

(ああ、この子もきっと何度もひどい目にあったんだろうな)

「だれ!」

鋭く問いかけてきたが、その声には全く張りがなくから元気を振り絞っているのは明らかだ。

「大丈夫、なにもしないよ、わたしは神代伊予那」
「…………」

少女はまだ警戒してこちらを観察している。
やがてその目が伊予那の右手で留まった。
そこに握られていたのは、

「あ……大丈夫、何もしないから」

伊予那は敵意がないことを証明するために両手を挙げる。
銃を持っているほうが手を挙げているという、傍から見ればおかしな構図だ。

やがて伊予那の思いが伝わったのか、少女は

「登和田……初香」

と、小さく名乗った。

それから二人は一緒に行動することとなった。
初香は豪華客船に首輪を解除するための道具を探しに行きたいらしい。
伊予那はアクアリウムに向かう予定だったが、特に明確な目的があったわけではなかったので初香に付き合うことにした。
それに、初香はもうすぐ夜だというのに初香は懐中電灯も持っていなかった。

初香はまだ自分のことを完全に信用してくれてはいないようだった。
懐中電灯を持っている自分が先を歩くのはある意味当然かもしれないが、なんとなく背中を見せたくない、という感情が読み取れるのだ。



そうして道なりにしばらく行くと明かりが見えてきた。
懐中電灯の無機質な明かりではない、揺らめく炎の明かりだ。



ぱちぱちと、子気味のいい音を立てて炎が踊る、それを見つめている少女が一人。
りよなである。

いや、見つめているという表現は正しくない、彼女は目が見えないのだから。
彼女は今日突然ここに連れてこられてから今までのことを反芻していたのである。
そして思い返せば思い返すほど、自分が犯した罪に恐れ慄いた。

どうかしていた………

なよりを生き返らせることが唯一絶対に正しいことだと思った、そしてそのためならどんなことをしても許されると思った。

「りよな、無事、ね…逃げて…」

あの言葉を聴いたとき、頬を思いっきりはたかれたような気がした。
搾り出すような、ルカの言葉の一語一語がゆがんだ妄想に憑つかれていた頭を揺さぶった。
あの苦しげで、慈愛に満ちた言葉が、どんな暴力や罵倒より痛く、胸に突き刺さった。

きっとああいうものなのだ、誰かを守りたいとか、助けたいと思う気持ちは。
なよりもきっと、そういう思いで今まで私に接してきてくれたに違いない。

(それなのに、わたしは………)

さっきの放送でルカの名前は呼ばれなかった。
でも、あのときのルカの声は、目の見えないりよなにもわかるほど弱りきっていた。
あの場をルカが逆転できたとは思えない。

「……リヨナ……お願い、考え直して……貴女の妹はそんなことを望んで……」

今度はエリーシアの言葉が、頭の中に響く。

もちろんなよりはこんなことを望んでいないだろう。
私がこんなことをしたと知ったら、きっとなよりは私を軽蔑する。
もう私を姉だと認めてくれないかも知れない。

心がどんどん冷え込んでくる。
ガチガチと震えて歯の根が合わない。
サラマンダーで焚き火の火をさらに大きくするが、心はいつまでたっても温まらない。

(生きたまま炎に焼かれるのは、どんなに苦しいんだろう)

恐る恐る、燃え盛る焚き火に手をかざしてみる。

「……!!」

しかし、あまりの熱さに一瞬で手を引っ込めてしまった。

「なより……エリーシアさん………ルカさん…………ごめんね、ごめんなさい、ごめんなさい………」

誰にも届かない贖罪の言葉を口にすると、光を失った瞳からとめどなく涙があふれてきた。

「……あ、あの」
「!!!」

あまりのことに飛び上がったりよなは、自分が使っていた杖を踏みつけて再びしりもちをついてしまった。
気づかないうちに自分のすぐそばに誰かがいたのだ。

「あ、大丈夫です! 私たち怪しいものじゃありません」

驚きのあまり腰が抜けてしまったりよなは、手探りで杖を探し当てると、それを支えにしてよろよろと立ち上がった。

「驚かせてしまってすいません。あ、これ落としましたよ」
「え?」

落とした?
一体何を?

「これ、なんなんですか? さっきこれから火を出してたみたいに見えたんですけど」

サラマンダーだ!

りよなは内心冷や汗をかいた。
自分の唯一の武器を取られてしまったのだから当然である。

何者かの手がそっと自分の手に触れて、りよなはびくりと震えた。
どうやらサラマンダーを返してもらえたらしい。

「ひょっとして君、目が見えないんじゃ」
「!!」

もうひとつ別の声がして、再び飛び上がりそうになった。

「え、目が……まさか誰かに」
「う、ううん、これは……生まれつき」

しどろもどろになりながら何とか返事をする。
ほっと、安堵のため息が聞こえた。

「あの、ひとり、ですか?」
「う、うん。仲間とはぐれちゃって……」

心の中で自分を責める、よくそんな事が言えたものだ、仲間は自分が殺したんじゃないか、と。

「よかったら一緒に行きませんか?」
「え? なんで?」
「なんでって、目が見えないのに一人なんて危ないでしょう」

りよなは驚愕した、この人は同じだ、ルカやエリーシアたちと。
この場において足手まといにしかならないであろう自分を、損得抜きで迎え入れてくれる、そんなひとだ。

「えーと……お名前は」
「籠野 りよな」
「籠野さんですね、わたしは神代 伊予那です」

伊予那と名乗った少女はかわいらしい声でたぶん年は自分と同じぐらいだろう。

「ぼくは登和田 初香。よろしく」
「よろしく」

初香と名乗った……おそらく少女は、どことなく大人びているがあどけなさも残る声で年はよくわからない。

「早速だけど、ぼくたちは今、豪華客船に向かってるんだ。そこにこの首輪をはずせる道具があるかもしれないと思って」
「豪華客船……」

そういえば、こんなことになってすっかり忘れていたが、自分はなよりとお母さんとお父さんと船に乗って旅行に行くことになっていたんだ。
こんなことに巻き込まれなければ今頃きっと、なよりと船の上で笑いあっていたに違いないのに……

「………………というわけで、できるだけ急いでいかないといけないんだ。……聞いてる?」
「え? う、うん」
「………」

しばらく気まずい沈黙が流れた。

「あれ、籠野さんそれは……」

沈黙を破ったのは伊予那だった。

「やっぱり、赤いお札だ!」

赤いお札?
さっき拾ったあれのことだろうか。

昏い街でルカを置いて逃げた後、森の中で見つけたものだ。
それが何かはわからなかった、お金にしてはサイズも手触りも違うし、封筒でもない。
何かはわからなかったが、なんとなく持っていったほうがいいと、そんな予感がした。
探してみると同じものが周りにも散らばっていて、全部で五枚あった。

なよりは知る由もないことだが、それはもともとリョナたろうに支給されたもので、リネルとの戦闘で置きっぱなしになっていたものの一部が風で飛ばされてきたのだった。

「これ、貸してもらっていいですか? 私、使い方がわかるんで」
「どうぞ……」

りよなはポケットにいれておいたお札を五枚とも伊予那に渡した。
お札というからには悪霊退散の効果でもあるのかもしれないが、りよなには必要のないものだ。

「ありがとうございます」
「それじゃ、そろそろ行こうか」

初香と名乗った少女は大して興味がなさそうだ。
幽霊とかの類は全く信じていないのかもしれない。

「あれ?」

初香の号令で一歩歩き出そうとしたとき、また伊予那が声を上げた。

「籠野さん、肩に何かついてますよ。なんだろ? これ? 蜘蛛の……糸?」



その瞬間、何かが起こった。
しかし、目の見えないりよなはもちろん、初香にも伊予那にも何が起こったのかわからなかった。
気がついたときには三人とも、蜘蛛の巣に絡めとられ身動きが取れないほどきつく縛り上げられていたのだった。



 
八蜘蛛は大いに不満だった。
寒い中、痛む足を引きずって延々と歩き回らされたのだから当然だ。
しかし、その光景を見たとたんそんな不満は一瞬で吹き飛んだ。

八蜘蛛はりよなが逃げるとき、ひそかに手下のヨツメグモを放ち、蜘蛛の糸をつけておいたのだ。
その糸をたどって行き着いた先には、なんと三人もの活きのいい獲物がいた。
いずれも十代前半の瑞々しい少女、獲物としてはこの上ない上物だ。

気づかれないよう、気配を殺して忍び寄る。
ここで気づかれて逃げられてしまえば、この足で三人とも残らず捕まえるのは難しいだろう。

そして、三人のうち一人が糸に気づいた瞬間、足に糸を絡め一気に森の中まで引きずりこむと、あらかじめはってあった蜘蛛の巣に三人とも磔にしてやったのである。

「な、なにこれ!」
「蜘蛛の糸!? うぐぅ、切れない」

蜘蛛の糸は見ため以上に丈夫で、非力な少女たちでは絶対に抜け出すことはできない。
しかも彼女たちの武器は、最初の不意打ちを受けたときにすべて落としてしまい足元に散らばっていた。

「久しぶりね、確かりよなだったっけ? ま、どうでもいいわ」
「そ、その声は確か……」
「そ、あんたたちが助けたかわいそうな女の子よ」

クスクスと人を馬鹿にしたような忍び笑いがもれる。

「全く馬鹿よね、あんたたちも。本当に危険なのは誰か全くわかってないんだから」
「………ルカさんは、どうしたんですか」

りよなは震える声で問いかける。
それを聞いた八蜘蛛の顔に残忍な笑みが浮かぶ。

「ふふ、そんなに気になる? 自分が殺そうとした仲間のことが」

その言葉にりよなはびくりと大きく肩を震わせると、うつむいて黙ってしまった。

「え? ど、どういうことですか?」
「やっぱり知らなかったのね。ま、当然か。」

困惑する伊予那を前に八蜘蛛の笑みがさらに残忍さを増す。

「そいつはね、自分の仲間を殺そうとしたのよ。おっと、そういえばその前にも一人殺してるんだったっけ?」
「か、籠野さん、本当?」

りよなはうつむいたまま何も答えない、それが答えだった。

「そんな………」
「何でも優勝して殺された何とかってのを生き返らせてもらうんだっけ? 
おめでたいわね、あの男がそんな願いを叶えてくれるわけないでしょう」

そんなことはりよなにもわかっている、わかっていてもすがりつかずにはいられなかったのだ。

「そうそう、あいつはまだ生きてるわよ。あれは私の家畜にすることに決めたから」

その言葉にうつむいていたりよなが、見えない目を見開いて顔を上げた。

「か……ち…く………?」
「さて、おしゃべりはこのくらいにしましょうか、出でよ! わが眷属たち」

八蜘蛛はりよなの言葉を無視して手下を呼び出した。
その言葉を合図にどこからともなく現れた二匹の大きな蜘蛛が、初香と伊予那に向かっていく。
さすがの初香も人間の胴体ほどもある蜘蛛を前に真っ青になり、そして虫が大嫌いな伊予那はパニック状態に陥っていた。

「いや、いやいやぁ! 来ないで! 助けて! 桜、たすけてぇ!!」
「……桜?」

小さく八蜘蛛がつぶやいた。
伊予那はそれを聞き逃さなかった。

「桜を……知ってるの」
「ええ、知ってるわよ。そういえば、親友を助けないといけないとか言ってたっけ」
「ま、まさか桜もあなたが………」

伊予那は今、自分が体長五十センチはあろうかという蜘蛛に襲われていることも忘れて八蜘蛛の答えを待った。

「残念ながら違うわ。わたしはただ見てただけ」

八蜘蛛の答えは伊予那の予想とは違うものだったが、しかし、

「それにしても人間ってのはどいつもこいつも単純よねちょっとか弱いフリをすればコロッとだまされて私の身代わりになってくれるんだから特にあんたの友達は傑作だったわ

伊予那は震えていた、恐怖のためではない

単細胞が服着て歩いてるようなやつだったからあっさり私の言うことを信じて私を守るとかって言っておきながら最期は適うはずない化け物に挑みかかってあっさり犬死していった

そんなものは焼き尽くすほどの怒りが、伊予那の中で燃え上がっていた

剣で串刺しにされてもまだ健気に生きててねびくびく痙攣しながら必死に最後の一撃食らわしていかにもやりきったって顔して死んでたわよ馬鹿みたいでしょ自分が死んでも他人を守ろうなんてまさに馬鹿としか………」

「……らを…………」

「………?」

強い意志は力となって

「桜を馬鹿にするなああぁぁ!!」

眠っていた能力を呼び覚ました

こんな華奢な体のどこからそんな声が出るのかと思うくらいの怒声があたりに響く、八蜘蛛は伊予那の中に強い魔力のようなものを感じ取っていた。

(怒りで覚醒ってやつ、くだらない、そんなものでこの八蜘蛛さまが……)

そのとき地面に散乱していたお札がいっせいに中に舞い上がった。

「なっ!」

慌てて糸を放って撃墜しようとするが、お札は一枚一枚がまるで意思を持って動いているかのような動きで八蜘蛛を翻弄する。
そして一枚のお札が八蜘蛛をめがけて一直線に飛んできた。

万全の状態なら問題なく回避できたであろう、しかし治りきっていない足に痛みが走り、一瞬無防備になってしまった八蜘蛛の顔にべったりとお札が張り付く。

「くっ!この、離れなさい、離れ………」

次の瞬間、お札が真っ赤に燃え上がった。
耳をふさぎたくなるような絶叫があたりにこだまする。
それと同時に八蜘蛛を中心として張り巡らされていた蜘蛛の糸がお札の炎で焼ききれ、初香たちが解放される。

「このガキイィィ!」

八蜘蛛はついさっき使い方を覚えたばかりの拳銃を取り出し、その銃口を伊予那に向ける。
しかし、八蜘蛛が引き金を引こうとした瞬間、視界が炎にさえぎられた。
りよなが放ったサラマンダーの炎である。

「ちっ、行け!」

八蜘蛛が命じると、二匹のヨツメグモがまっすぐにりよなの元へと向かっていく、だがそれも、伊予那の銃を拾った初香の正確な射撃によって撃ち抜かれてしまった。

今度は銃口を初香に向けて引き金を絞る。
そのとき、背中でペシャッという嫌な音がした。
伊予なのお札が背中に張り付いたのである。

「くそっ! 取れろ! 取れろ!!」

銃を放り出して背中のお札をはがそうとするが、背中に張り付いたお札はなかなか取れない。
そしてお札が燃え上がると同時に、今度こそ的確に狙いを定めたりよなのサラマンダーが火を吹いた。

「ぎやあああぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁあああぁあぁぁ!!」

再びの絶叫とともに八蜘蛛が崩れ落ちる。

「や、やった………」

誰が言ったのかもわからない、しかし確かに勝った。
化け物に自分たちの力だけで勝ったのだ。
だが、

「図に乗るなよぉぉ、ガキ共がああぁぁ!」

一度は倒れた八蜘蛛が再び起き上がる。
八蜘蛛とて魔王三将軍の一人、いくら炎が弱点とはいえこの程度の攻撃で倒れはしない。
実力ならば圧倒的に八蜘蛛のほうが上、さっきは二匹だったヨツメグモも何匹でも召還できる。
今までは慢心と油断によってできた隙を的確に突かれて押されていただけだ。

「この八蜘蛛さまが……貴様らみたいなガキにそう何度も負けるか!」

(そうだ、わたしは魔王三将軍にひとり八蜘蛛、こんな年端も行かないガキに何度も負けてたまるか!)

………………何度も?

何度もとはどういう意味だ?
わたしは今まで人間の、しかもこんなガキに負けたことなど………

いや、あった。

あの時、異世界からやってきた勇者たちと、そうちょうど目の前にいるこいつらと同じぐらいの年の三人のガキだった、そいつらと戦って、わたしは………わたしは…………

  殺  さ  れ  た

目の前に立つ三人の少女たちの姿が、かつて自分を殺した三人の勇者たちの姿に重なっていく………



「図に乗るなよぉぉ、ガキ共がああぁぁ!」

怒声と共に立ち上がった八蜘蛛を見て、初香は驚きはしたものの恐怖は全く感じなかった。
それは伊予那とりよなも同じで、まるで自分ではない何者かが乗り移ったような感じだった。

「この八蜘蛛さまが……貴様らみたいなガキにそう何度も負けるか!」

三人は次の攻撃を警戒して身構えたが、八蜘蛛はそのままいっこうに攻撃を仕掛けてこない。
やがて怪訝な顔をしていた表情が、驚愕、そして恐怖へと変わっていき、

「ひっ!」

と、しゃっくりのような、短い悲鳴を上げるとぺたんと餅をついて後ずさりしはじめた。

死の恐怖、それは実際に体験したものにしかわからないが、あの豪胆なロシナンテですら錯乱させてしまうほどのものだ。
八蜘蛛にはとても耐えられるものではなかった。

恐怖に見開かれた目はまっすぐと三人を見つめている。
そして初香が一歩踏み出すと。

「あ……あぁぁ………く、来るな、来るなああぁぁぁ!!」

気が狂ったように叫びながら、まろぶようにして脱兎のごとく逃げ去ってしまった。



後に残された少女たちは、しばらく八蜘蛛が逃げ去った方向を呆然と眺めていた。
そして、つかの間の静寂を破ったのは小さな笑い声だった。
やがて三人は声を上げて笑いあった。

失って、傷ついて、守られて、ぼろぼろになりながらここまで来た三人の少女たちは今、自分たちの力だけで勝利を勝ち取ったのだ。

協力して勝ち取った勝利は心の壁を崩し、三人を強く結びつけた。

「そうだ、これ、返さないと」

そういって初香が銃を伊予那に差し出す。

「ううん、初香が持ってて私よりずっとうまいみたいだし、それに私はこれがあるから」

そういって残った三枚の赤お札を見せた。

「あの……初香」

りよながおずおずと口を開いた。

「なに? りよな」
「えーと、これから豪華客船に行くんだよね、その前に町によっていけないかな」
「町に?」
「うん、ここからそんなに離れてないはずだし、わたしどうしても謝らなきゃいけない人がいるの」

謝らなきゃいけない人というのはおそらく、さっきの話に出てきたルカという人のことだろう。
そのことについては何があったのか深く聞かないことにした、それにここからそう遠くない町となるとここから南南西に進んだところにある昏い街のことだろう。
それならたいしたタイムロスにはならない。

「それじゃあまずはそこへ行こう」
「あ、そのまえに」

伊予那が自分の靴を脱ぎだした。

「これ履いて」
「伊予那、でも……」
「いいから、ずっと裸足だったでしょ、ほら」
「それなら、わたしも」

と、りよなも靴を脱ぎ始めた。

「じゃあ、片方ずつ」

そうして、強引に片方ずつの靴を手渡された。

「ありがとう」

二人の靴はサイズが合わずぶかぶかだったが、とても暖かかった。



生還への道はいまだ見えない、しかしここに小さな希望の光が生まれた



【C-3:X4Y3/昏い街付近/1日目/夜】

【登和多 初香{とわだ はつか}@XENOPHOBIA】
[状態]:疲労 大、精神疲労 中
全身打撲、アバラ二本骨折、胸骨骨折
(怪我は魔法で緩和、傷薬と包帯で処置済み)
[装備]:クマさんティーシャツ&サスペンダースカート(赤)@現実世界
伊予那の靴右@一日巫女
りよなの靴左@なよりよ
ベレッタM1934@現実世界(残弾7+1、安全装置解除済み)
[道具]:オーガの首輪@バトロワ
9ミリショート弾×24@現実世界
[基本]:殺し合いからの脱出
[思考・状況]
1.昏い街に向かう
2.豪華客船に向かう
3.オーガの首輪を解除する
4.仲間と情報を集める



【神代 伊予那{かみしろ いよな}@一日巫女】
[状態]:右手に小程度の切り傷
[装備]:赤いお札×3@一日巫女
[道具]:デイパック、支給品一式(パン1食分消費)
SMドリンク@怪盗少女
[基本]:桜を信じて生きる
[思考・状況]
1.初香、りよなと昏い街に向かう
2.カザネの他にもエリナの知り合いが居たら全てを話すつもり


※お札を操る程度の能力に目覚めました
※ひょっとすると無念の思いを抱えた死者の魂と会話できるかもしれません



【篭野りよな@なよりよ】
[状態]:疲労、精神安定
[装備]:サラマンダー@デモノフォビア
    木の枝@バトロワ
[道具]:デイパック、支給品一式(食料9、水9)
[基本]:マーダー、なよりを生き返らせる
[思考・状況]
1.初香、伊予那と昏い街に向かう
2.ルカに謝る


※トカレフTT-33@現実世界(弾数8+1発)はC-3:X3Y3に落ちたままになっています。



【C-3:X4Y1/廃墟付近/1日目/夜】

【八蜘蛛@創作少女】
[状態]:錯乱、全身火傷、特に足にダメージ(養分吸収である程度回復)
[装備]:[道具]:デイパック、支給品一式×3(食料14、水14)
弾丸x1@現実世界(拳銃系アイテムに装填可能、内1発は不発弾)
モヒカンハンマー@リョナラークエスト
メイド3点セット@○○少女
バッハの肖像画@Lafinediabisso
チョコレート@SILENTDESIREシリーズ
[基本]:ステルスマーダー
[思考・状況]
1.とにかく逃げる
2.ルシフェルを倒す(そのために実力のある参加者を味方につける)
3.エリーシアを殺す
4.人間を養分にする


※ロシナンテが死んだらしい事を知りました
※一回目の放送は聞いていません
※北に向かって逃げました
※ロカ・ルカ@ボーパルラビットは昏い街に置いたままです



【D-3:X3Y1/昏い街/1日目/夜】

【門番{かどの つがい}@創作少女】
[状態]:熟睡、体力激減、負傷、冷気による内臓損傷
[装備]:リザードマンの剣@ボーパルラビット
[道具]:なし
[基本]:キングを泣きながら土下座させる、そのための協力者を集める
[思考・状況]
1.熟睡中
2.とりあえず食事?
3.八蜘蛛を守る
4.キングを泣かすのに協力してくれる人を探す


※不眠マクラの効果に気づいていません
※ロシナンテが死んだらしい事を知りました
※一回目の放送は聞いていません
※デイパック、支給品一式×2(食料13、水11)
不眠マクラ@創作少女
SMドリンクの空き瓶@怪盗少女
あたりめ100gパックx4@現実世界
財布(中身は日本円で3万7564円)@BlankBlood
ソリッドシューター(残弾数1)@まじはーど
霊樹の杖@リョナラークエスト
は、昏い街の道端に落ちたままです



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