「ぬぬ・・・」
キトリーは思わず顔をしかめた。大仰な武器を好む彼女のバッグの中の武器は、
小さなナイフ一本だけだったのだ。
あの男の言う事は信用できない。だけど確実に信用できる事がひとつ。
あいつは私達に殺し合いをさせるという事。
それなのに、いつもの武器は取り上げられ、期待していたバッグの中身の武器は短剣一本だけ。
おまけに転送された場所は見渡しのよい野原の上であった。
(もし辺りに敵がいたらやられていたかも。とりあえず向こうに見える森に隠れなきゃ。)
少し安堵した顔で、キトリーは森の方に歩き始めた。
生死を決する場だというのに、度重なる不運で叫びそうになるキトリー。
それをぐっと堪えて、今考えられる最善の策を実行する。
思えばキトリーが若くして賞金稼ぎを生業にできたのも、自分の運命に立ち向かい、
それを乗り越えてきたからではないだろうか。
そんなものにふて腐れている時間はキトリーには存在しない。
悪夢のような理不尽さや、どうしようもない偶然は、わたしを精神的にも肉体的にも強くしてくれる。
―――そう、不運こそ、わたしにとって最高の糧なのよ!
「・・・あっ、不運といえばもう一つあったわね。」
最後の方が言葉になっている事に気付いたキトリーはふっと我に返り、
バッグの中からアイスを取り出した。ただひとつのキトリーの食料。
鞄をいくら漁っても食料はこれしか見当たらなかった。
これを解ける前に食べることが、わたしに今出来るもう一つの「最善の策」。
「ぺろぺろ」
周りの気配を探りながらアイスを頬張るキトリー。たいぶ森に近づいた。
あそこならある程度の外からの目くらましにはなる。そこでこれからの計画を練ろう。
キトリーはひんやりとしたアイスのおかげか、だんだんと冷静さを取り戻しつつあった。
「ん?」
瞬間、舌に違和感があった。
ある予感が走り、反射的に口の中からアイスを引き抜く。
「これは・・・」
「あ・・・た・・・・・・り・・・?」
取り戻しつつあった平常心は吹き飛び、押し忍んできた感情が限界に達した。
渾身の力で当たりの棒をへし折る。
「ああああ!!もう!わたしの事こけにして!」
近くの樹にアイスの棒を力いっぱい叩きつけるキトリー。
顔は紅潮し、冷静さを失ったキトリーは大声で叫んでしまう。
その一部始終を見ていた樹の上の一匹のモモンガが、キトリーのことを笑っている。
「・・・!こいつ!」
キトリーはナイフを手にとり、モモンガに向けて放った。
「調子に乗るんじゃないっ!!」
ガン!
ナイフはモモンガを貫き樹の幹に刺さった。その衝撃でナイフがブルブルと震える。
そのナイフの振るえが収まると同時に、串刺しにされたモモンガも息絶えた。
「ハァハァ…乗るのは樹の上だけにしておくべきだったわね…」
イライライラ…
キトリーは森の境界付近でうろうろしていた。
先程殺めたモモンガの仲間たちが、森からキトリーのことを威嚇しているのだ。
「なに?あなたたち。こんな風になりたいの?」
キトリーはそう言うと、さっきのモモンガの死体を手に取り、呪文で火炎の渦を巻き起こした。
一瞬で炭化するモモンガの肉体。キトリーがそれを片手でグシャっと潰してみせると、
その音を聞いたモモンガ達は一斉に森の中に飛び立っていった。
「…はあ。」
こんな事に魔力を使ってしまった事に後悔するキトリー。モモンガ達は森の奥に引っ込んだが、
動物相手にムキになってしまった自分が情けなくなってくる。
「気持ちが落ち着かないわ…」
「できることなら、あの連中の殺しに混ざってスッキリしたいのだけど。」
そう。キトリーが森の前でうろついていたのにはもう一つ理由があった。
「いやー!!」
森の外で女の子が、丸い草のような化け物の群れに追われているのだ。
「離してよお!」
さらに先程のモモンガの仲間達が、女の子の顔面にくっついて視界を遮っている。
見るからに貧弱そうな体つきの少女。その華奢な身体を守っているのは白いひらひらした
チューブトップと、すらっとした細い足がむき出しのホットパンツだけであった。
その細い足を懸命に走らせ、女の子は今必死に化け物の群れから逃げている。
…しかし、その体力が尽きれば、あの女の子は化け物に食い殺されてしまうだろう。
「あの女の子の体力じゃ、逃げるのもせいぜい後3分が限界ね。」
もちろんキトリーの能力を用いれば、
あの女の子もろとも化け物の群れを全滅させることくらいたやすいだろう。
しかし、キトリーは戦いに参加しようとはしない。敵の能力も確かめずに、無意味な戦いは
避けるべきだと判断したからだ。ましてやあの女の子を助けてヒーロー気取りをしようなんて
考えは微塵もなかった。
「くっ……」
頭ではそう理解できるのだが、さっきから続いているイライラのせいで大暴れしたいという
欲求が、キトリーの判断を揺さぶる。
「我慢して、わたし。もう少し様子見よ…」
「…ひぃ!…ひぃ!」
動物の鳴き声のような悲鳴を上げ、開けぬ視界の中を走り回る女の子。
逃げる足は走りながらもガクカグに震え、
モモンガを顔から剥がそうとする手は虚しくも空を切っていた。
そうこうしている内に草の化け物が彼女に追いつく。
モモンガは巻き添えを嫌って顔からどいてくれたが、
むしろそのまま視界を遮っていてくれていた方がよかったかもしれない。
「…っ!!」
彼女の目の前には、大きく裂けた口から異臭を放つ草の化け物がいた。
「…や…あ…こ、こな…い、で…!」
目からはボロボロと涙が溢れ、死の緊張から激しい嘔吐感が彼女を襲う。
「…ぁ…!……!!」
もはや声にもできない彼女の叫び。身体の振るえは、まるで生まれたての子鹿のようだった。
「おしまいね…」
キトリーが彼女の死を確信した瞬間、その女の子はバッグから大きな剣を取り出した。
「…!あれはバスタードソード…?あの女の子の筋力で扱えるものだとは思えないけど…」
キトリーは、あの女の子にとっては剣をバッグから取り出す事でさえ困難であろうと思った。
しかし、その予想に反してその女の子はその剣を震える両手で握り、
刃の先端を地面に付けながらも敵の方に向けている。
「…うぐっ…あっ……ぁ…」
恐怖に巻かれながらも女の子は最後の勇気を振り絞り、死の淵から脱出しようとする。
その大きな刃を向けられた化け物達は驚き、後方に少し下がった。
「フフフ・・・面白くなってきたわね。」
キトリーはそう言うと、今度は女の子に聞こえる声で言った。
「敵が引いているわ。今よ、その剣で叩っ切ってあげなさい。」
「ひっ!えっ…!」
突然の人の声にビックリする女の子。しかし、人の声を聞いたことでだんだんと
今までの混乱から開放されていく。
「あ…あっちいけっ!」
女の子は剣を持ち上げ、化け物に向かってブンと振り下ろすが、やはり彼女の力では
バスタードソードなど上手に扱う事はできない。持ち上げるのが精一杯といった状態であった。
「このっ…!」
再び剣を振りかざす女の子。しかし、今度は振り上げ過ぎてしまったためバランスを崩し、
剣はあろうことか女の子側に倒れ掛かってきた。
「えっ…うあああ!」
「はあ…見ていられないわ。」
キトリーはため息をつくと女の子のところまで駆け寄り、女の子のバスタードソードを取り上げる。
「あっ…」
「いい?剣はこうやって…振るのよ!」
「!?ひいぃぃい!」
ザシュッ!
真っ二つにされる草の化け物。
「あははっ!逃がさないわよ!」
化け物達が逃げの姿勢に入る前に、キトリーの斬撃は次々と化け物達を捉えていく。
そのスピードにはキトリー自身も驚いていた。バスタードソードはキトリーの身長と同じくらいの長さだ。
重さもそれなりのものを覚悟していたが、異常に軽いのだ。おそらくは名工の作品であろう。
「うふふ…この剣、気に入ったわ!」
|